大阪で福祉に関係することを調べると必ず目にする団体がある。
それが「皓養社」。(こうようしゃ)
大阪において長年にわたり篤志活動を続けている財団だが、ネットの情報も少なくその多大なる活動と公開情報量のアンマッチさが気になる団体である。以前から気になっていたのだが、あるきっかけでリサーチが進んだので結果をまとめてみる。
一般財団法人「皓養社」代表者:中納久昭氏、(現在)宮本献璽氏
現在の代表は大正区の了照寺住職と同じ名前であり大阪ぼしれん掲載写真とお寺の紹介Youtubeでお顔が一致することから、現在は住職が代表者/理事長を務められていると推測される。
全国公益法人協会の情報を見るとこの財団の公式サイトは無いが、事業概要は「生計困難な家庭の子女に対する育英基金の給付に関する事業、同目的に関する公共公益団体の事業に関する事業及びこれらの目的を達成するために必要な事業など」と記載されている。
この財団から大阪府母子寡婦福祉連合会を通じ府下ほぼ全ての市区町村の母子・父子家庭に対し一定条件の子供たちに奨学金や入学祝い品が出ている。
このような社会的弱者への支援以外にも災害救助犬のNPO法人への助成や三西皓養社児童遊園の提供等地域活動もされている。
財団名の由来や理念、活動については以下の2つの記事からうかがい知れる。
特に給付式は挨拶の内容が今まで概要しか公開されていなかったが、2020年(令和2年)は新型コロナウィルス感染拡大防止のため中止となったが代わりに書面による挨拶が公開されたことでリサーチが前進した。とても印象に残る言葉だ。
■大阪ぼしれん 令和2年7月「皓養奨学金給付式」宮本理事長の「励ましの言葉」より。
『今年は新型コロナウイルス感染症の拡大中で、皓養奨学金の給付式を開催できませんでした。皆さんも休校のために授業がなくて不安な日々を送っておられることでしょう。でも、将来のために自分を見失わず、今、自分ができることを一歩一歩大事に時間を使っててください。
皆さんが受け取られる皓養奨学金は、中納 久次郎氏が昭和21年に設立された財団法人「皓養社」から給付されるものです。中納家が所有する土地を企業などに貸与し、その地代を奨学金として給付するようになりました。
当初は、太平洋戦争で戦死された母子家庭に給付されました。「皓養社」という名前の「皓」とは、明るいという意味で、次の世代を養育して終戦後の暗い世の中を明るくしていこうという趣旨だったのです。
私たちはいろいろな人生の苦難に出遭います。何でこんな目に遭うのだろうと、理不尽な苦難に出遭うこともあります。皆さんも、ひとり親家庭にやむを得ずなったことでしょう。でも、決して自暴自棄にならないでください。一回きりの人生です。与えられたいのちを大事にしてください。決して独りぼっちではありません。独りぼっちと思うのは錯覚です。苦しみや悲しみを独りで抱え込まないでください。周りの方に相談してください。もちろん、自分の苦しみ・悲しみを100%わかってもらえないでしょう。たとえ50%でも30%でもわかってもらえればいいのです。人に悩みを話すことによって私たちは心が整理できます。相手の方からいろいろとアドバイスもいただけます。
人生は「お互いさま」です。今は支えられる側であっても、将来、支える側になることもあるでしょう。いや、そうなっていただきたいのです。皓養奨学金は、給付ですのでお返しいただく必要はありません。将来、精神的にも経済的にも余裕ができましたら、ぜひ支える側になってくださることをお願いして「励ましの言葉」とさせていただきます。
一般財団法人 皓養社 理事長 宮本献璽』
■「産経市民の社会福祉賞」第14回(昭和63年)「施設児童に奨学金」財団法人皓養社(代表=中納 久昭)
『昭和21年、財団法人として設立。昭和34年ごろから学校へ備品の寄付をはじめた。昭和45年からは、大阪府社協を通じて養護、母子寮、障害者施設などの児童へ高校奨学金を支給。また、民間施設職員の資格取得のための奨学金を支給した。支給奨学金は、昭和62年までに5,461人に1億2091万円にのぼる。』
昭和21年(1946年)ということは今年2021年なので75年前に篤志家である中納氏の「皓養」の行動が始まり、中納家の皓養社としての取り組みは今も脈々と粛々に続いているということだ。
企業の社会貢献活動や財を成した企業創業者により返済不要の給付型奨学金が今でこそ増えてきた感があるが、皓養社は昭和62年(1987年)今から34年前でこの人数だ。直近で年約200名に給付していることから推し測ると中納氏の「皓養」の志を受けた人たちは府下でゆうに1万人を越えており、その人たちが日本の戦後という遠い過去から現在、そして未来を紡いでいっていることを考えると深い尊敬の念とともに感動を覚える。
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