ETV特集・選「誰が命を救うのか 医師たちの原発事故」
福島原発事故での医療現場における多くの失敗を伝え、その失敗を活かすことで次へつなぐ活動や自己の知見を現地で役立てようとされている方々が多くいて感銘を受けた。
その中でも山口芳裕医師の言葉が刺さった。
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2011年3月18日に東京消防庁へ派遣要請があり東京ハイパーレスキュー隊が福島原発の冷却に向かう。原発敷地内の線量の状況は東電側からは何の情報も得られなく、海水を汲み上げるホースのルートはがれきだらけで、ハイパーレスキュー隊員がその中をかきわけて実際に線量を測りながらルートを確保。限られた隊員数で許容線量を守れる範囲で作業するために前線基地で予行演習を実施した上で3/19に14時間の放水に成功した。これにより原発事故による東日本の壊滅的な事態を免れることができた。
隊を放射線被曝から守る役割を担った杏林大学 山口芳裕医師(東京都 特殊災害支援アドバイザー)の話。氏は1999年東海村JCO臨界事故の被爆者治療を担当した。その治療で目の当たりにした高線量被爆を受けて体が溶けていく朽ちていくという事態を回避するために隊に同行した。
『例えば(空間線量)が1,000ミリシーベルトになりますと、許容線量が100ミリシーベルトですから、そこに6分いたら100ミリになっちゃいます。ですから6分間しか隊員は働けないわけです。6分間したら次の隊員に入れ替えなければいけない。想定したシミュレーションをやってストップウォッチ片手にですね、これならその線量で帰ってこれるというのを確認した上で出動していきました。
政府の関係者から「100ミリシーベルトで隊員に不足が生じるのであれば、250ミリシーベルトにしたらどうだ」という意見がもたらされました。250受けてしまえば、その方は受けなかった場合に比べて必ずがんになりやすいという傾向が出てしまいます。ですから100ミリ以内に留めるのと250まで許容するのではリスクが全く違うわけです。私は専門家として250は許容できません。みんな100で帰してやってくださいということをお願いをした次第です。』
氏の振り返り。
『ともかくいわゆる殉職というようなそういうものや大きなけががなく活動を終了できたってことに本当に安堵した。果たして国家の側がそのこと(隊員の安全)に最大限の責務を払ってくれたのか、責任を感じてくれていたのかってところには、僕は非常に疑問を感じています。』
『(電力)事業者に対してはやはり最後まで「事業者責任」という言葉で、(国が)明確な手を打ってきていないところは、本当はですね、いろんなところが再稼働する前に国はちゃんと整理整頓しなくちゃいけないと私は思いますね。』
また氏は生きて帰ってこれないということを蓋然性をもって想定していたため福島原発へ向かう車の中から遺書となるかもしれない別れのメールを家族に出していた。
当時大学生だった息子さんからの返信。『死の覚悟を持って福島の地に赴かんとする父を誇りに思います。幾多の苦難を乗り越えてきた父上、必ずや責務を全うされることを信じます。どうかご存分の働きを。』
最後のナレーション(語り 吉川晃司)『8年前のあの経験を私たちは本当に教訓としているのだろうか。医師たちが撮影した3000にも及ぶ写真や映像はそのことを私たちに問いかけている。』
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当時「メルトダウン」じゃないと政府は言い張っていたが結局はメルトダウンだった。結局、先の大戦の時も同じで、終わったことを総括し処罰できない国の体制に問題があるように思う。
日本は長期的視点で論理的に考えまとめ上げることができてそれに責任感を持つリーダーや官僚がいない不幸な国である。
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