昨日は涼しい夜となり、ようやく夜のエアコンを止めることができた。
今朝は北の部屋でシンワのガラス温度計を見ると25.5度となっていた。
昨日は涼しい夜となり、ようやく夜のエアコンを止めることができた。
今朝は北の部屋でシンワのガラス温度計を見ると25.5度となっていた。
昼X色、どの色合いを利用しているのかつまずいてしまうのでメモ。
・昼白色:昔からある田舎の電灯を思い出させる白色。黄系やや暗く感じる白。
・昼光色:これがいつも使ってるやつ。青系明るい白。
たまにどうしても聞きたくなる savage genius。
きっかけは『地獄少女 二籠』のエンディング曲として『あいぞめ』を知ったとき。ああの作詞、Takumiの作曲、西田マサラの編曲、歌は能登麻美子。
主人公の地獄少女(閻魔あい)が依頼主の命と引換えという契約のもと、依頼主の晴らせぬ恨みを晴らすことを地獄少女が代行する。ただ地獄少女が相手を地獄に送った後、契約の代償として依頼主も現世から消え地獄で永遠に苦しむというホラーチックな異彩を放つアニメだった。
あのドラマのテイストには能登麻美子の声が合う。
アルバム「風の結晶」、「空ノ言葉」はどの曲も良い曲ばかりだったが、savage geniusからTakumiが抜けることを知って、当時はなんでやねんって思った。
あれからTakumi(松下託実)を目にしたらネットで検索。(確か)カナダ人女性と新たなプロジェクトを起こしlove-harmony.com を取得したことを知ったのが2012年4月。で、まもなくその女性と結婚。そこからYoutubeチャンネルも開設したのを知ったが、そこからコンテンツ更新が止まったり、ドメインが更新されず足取りが完全に途絶えた。
一方、ああはまもなく結婚出産でsavage geniusは一時休止。
良いメロディ作ってたのに本当に残念だわ。
https://vgmdb.net/artist/10460 を見ると2017年までは追えるんだけど。
年末になると様々な無料配信イベントがあるが、その中でもタイトルに惹かれ気になった『色づく世界の明日から』(全13話 約5時間)をこういうのがあると今朝知って籠もってイッキ見した。
魔法使いが特技のような感じで受け入れられている社会の中で魔法使いの血を引いていながら魔法を嫌悪し、トラウマで幼いころに色覚を失いモノクロの世界で心を閉ざすように過ごしてきた女子高生の主人公が、2078年ある祭りの日の夜に祖母から突然「あなたは今から高校2年生の私に会いに行きなさい」と言われ、彼女の時間魔法によって訳も分からないまま60年前の2018年に送られてしまう。そこで魔法を嫌悪した理由などだんだん悲しい過去が明らかになっていくとともに、ありのままの自分を全て受け止めてくれる若き祖母やまわりの人たちの存在によって素直に前向きな気持ち、そして色を取り戻していく。
2018年に放映したTVアニメ『色づく世界の明日から』(Iroduku: The World in Colors)は、P.A.WORKS制作による綺麗な映像と興味深い世界観、テンポ、音楽もよくて美しく切なくも儚く、涙を誘う良質な恋愛青春群像劇で、感情の表現が豊かで見る側の精神の核にある記憶を呼び覚ましながら心を打つ良い作品だった。(青春群像劇って何か古くさい言い回しに思えて良い言葉探したけどなかったので、いったんこれでいく。)
ポイントとなる10話最後と13話最後を特に注視し、そして最後まで見終わったら改めて1話の冒頭の過去に送られるまでを見直すという1.1周をすると様々な疑問はたいてい解消する。
最後、孫の瞳美を未来へ送った祖母の琥珀が言う「瞳実を未来に返したのは私の時間魔法じゃない。そのことは私だけが知ってる。瞳美の無意識の魔法が解けることが旅のリミットだったんだ。未来の私がかけた大きな魔法。今はまだ届かない。けど、いつか、きっと。。」の想いから続く60年後の琥珀が「60年分の(満)月の光を浴びた星砂」で瞳実を60年前に送るという流れで、ストーリー的には倒置法的な展開がされる。ただタイムループはどうしても最初の起点が「鶏が先か、卵が先か」という問題が気になる。祖母が高校2年の自分が瞳実の問題を解決できると確信を持って送り込めたのはなぜってところで、1話の最初でもう少し伏線が欲しかったと、瞳美が戻ってきてあとがき的な伏線回収の続きを見ていて思ったが、でもすごく鑑賞余韻が良かったので気にしないでおく。(あるいは自分の理解が間違っているのか。)
舞台(聖地)となる長崎は中学、高校と修学旅行2回行ったな。後に聖地となった場所で行ったことあるのはグラバー園だけか・・・でも2回行った。高校の修学旅行で九州となったときはなんで信州じゃないねん2回目やんって思った気持ち蘇った。「あなたは今から高校2年生の自分に会いに行きなさい」って言われたいね。当時の自分に伝えたいこといっぱいあるね。
星砂時計が欲しいね。あれデザインも良いしね。ガジェット探したけど無かった。
「未来を決めるのはいつも自分」
「気持ち一つで世界は変わっていく」
Stardy 河野玄斗の神授業「勉強する意義」(Youtube)の前半より、気になる部分の備忘録メモ。
氏曰く「自分も高校生の時にこんなこと考えたことなかった。勉強って良いんだなと今はふわっと思っとくだけでいい。勉強に本気で取り組んで、その先で振り返ってみると自分にとって勉強ってこういう意味があったなという後付けで実感できていくもの。こんなことそんな意識しなくてよくて、とりあえず目の前の壁を越えろ。」
『勉強する意義』
1. 将来の選択肢が増える:良い大学に入ると良い会社に入れる可能性が上がり、いろんな知見を得ることで初めて「道」が見えてくる
2. 優秀な人に恵まれる:良い大学に入ることのメリットは人。周りの人のレベルが高いことで、高い目標・視座を得る環境にあり、自分の身がそこにあることで自分もそれが当たり前と感じ切磋琢磨でき「自分の当たり前レベル」を引き上げていける
3. 勉強を通じて得意・不得意に気づける:向き/不向き、好き/嫌いはやってみないとわからない。学校という半強制的に勉強させられる場があるのだから本気で向き合ってみて、自分の向き好きなことを「気づく場」として機能する
4. 「人生力」が身につく:勉強を通して得た考え方が勉強以外のいろんなところで活きてくる
5. 自分に自信がつく:大学受験などいろんな壁に向かって頑張っていって、それを乗り越えた先に自分の成功体験っていうのがどんどん積み重なっていく。それがあるからこそ次の挑戦ができる
まとめた気づき。実は氏の言葉の使い方は次につながるような言い回しがあらかじめ伏線配置されていて、1つ1つはそう長くないのに前に遡って伏線を拾っていかないと氏の最後の1つの主張点につながる意味がぼやけてしまうと感じた。ビジネスも同じで一生勉強なんだわ。自分的最終まとめ感想は、こういうこともっと小さい頃に知りたかったわ。
高橋幸宏氏に続いて、3/28に坂本龍一氏もこの世を去った。YMOは66.6…%失われてしまった。
『テクノポリス』、『ビハインド・ザ・マスク(BEHIND THE MASK)』、『ONGAKU』、『東風』、『千のナイフ』、『SELF PORTRAIT』、『PERSPECTIVE』、『Ballet Mecanique』、『ラストエンペラー(The Last Emperor)』、『戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)』、『い・け・な・いルージュマジック』、『SO LONG[藤真利子]』、『クロニック・ラブ[中谷美紀]』、『The Other Side of Love[坂本美雨]/砂の果実[中谷美紀]』等々好きな楽曲は数多い。
21世紀に入って氏が社会運動色を強く出すまで『エナジーフロー』あたりまでが特にお気に入りだった。
歌謡曲しか知らなかった自分にとってYMOの『テクノポリス』(1980年)は衝撃的だった。その後の西城秀樹『愛の園(AI NO SONO)』も衝撃的だった。ただ編曲で氏の名前を知ったのはもっともっと後だ。それらに続くYMO『ライディーン』(高橋幸宏氏作曲)でYMOに完全覚醒した。
音楽を聴くには当時はAMなら平日深夜「ヤンリク(ABCヤングリクエスト)」、FMなら土曜お昼からの「コーセー歌謡ベスト10」だった。ヤンリクは1970年末頃から親に隠れて布団の中でHOMER IC-5000を使って、歌謡ベスト10はお昼だから正々堂々とラジカセで聴いてた。ちょうど寝たふりしながらヤンリク聴き始めた頃にYMOに出会った。
YMOのお気に入りのアルバムは今でも『イエロー・マジック・オーケストラ(YELLOW MAGIC ORCHESTRA』、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(SOLID STATE SURVIVOR)』、『増殖(X∞MULTIPLIES)』そして『BGM』の最初からの4枚。これらはもう何回聞き返したかわからないぐらいだ。1993年のYMO再生コンサートにも行った。
2020年に入ってから自分の青春を彩った印象深い人たちが次々に去っていくニュースに接すると、人生の儚さ故の仕方のないことではあるものの、なんだかとてもとても寂しい気持ちが押し寄せて自分もいずれそういう結末を迎えることへの恐れを素直に感じるようになってきた。この世を去る、passed awayという言葉の響きに荘厳さを感じる。
『ぼくには はじめと おわりが あるんだ
こおして ながいあいだ そらを みている
おんがく いつまでも つづく おんがく
おどって いる ぼくを きみは みている
ぼくには はじめと おわりが あるんだ
こおして ながいあいだ そらを みてる』
– Ballet Mécanique (バレエ・メカニック) –
RIP Ryuichi Sakamoto (deconstructing the past, and the present, in order to lead us into the future with a greater scope)
今朝、ニュース記事でYMOの高橋幸宏氏が亡くなったことを知った。
YMOで「ナイス・エイジ」、特に神曲「ライディーン」など心に残る作品を出されているが、それと同じく氏の「Broadcast From Heaven」のアルバムも良い。中でも「4:30AMのイエティ」、「1%の関係」は青春の中で折に触れて必ず聴いていた曲。
作品はずっと生き続けるけど、氏の訃報を聞くとなんとも言えない悲しさがわき上がってくる。共に生きた教授のInstagram、細野晴臣氏の沈黙、氏が見いだした高野寛氏のTwitterがその深さを物語る。
『車をおりて 山のふもとに立ち
夜明けの音が 聞こえてくると
ひとりぼっちが 朝の光り浴びて
暖かさを ぼくは感じてきしみ出すイエティ』
– 4:30AMのイエティ –
明け方、近くの小山に原付で向かい、そこから夜明けの太陽を眺めるのが好きだったことを思い返す。
RIP Yukihiro Takahashi
2022年11月分の電気ご使用量のお知らせが来たので、この記事とこの記事の今月版を算出。
シン・エナジー「【昼】生活フィットプラン」と関西電力「従量電灯A」の費用との実績で比較。
換算にあたっては関西電力の当該プランページの電気料金計算例を用いた。また燃料費調整費単価は過去の燃料費調整単価の2022年11月分を用いた。
■シン・エナジー
請求額 8,813円(税込)
使用量 265 kWh
*内訳*
・基本料金 304.41円
・電力量料金 5,342.13円
・燃料費調整 2,308.15円
・再エネ発電賦課金 914.00円
・支払方法登録割引 -55.00円
■関西電力「従量電灯A」へ換算
・基本料金 341.01円
・電力量料金 5,860.50円(=105*20.31+145*25.71)
・燃料費調整 593.66円(=33.66+250*2.24)
・再エネ発電賦課金 914.00円
・口座振替割引額 -55.00円
*合計* 7654.17円(税込)
気温も温暖で過ごしやすかった10月~11月は電力消費量が落ちた。結果、関西電力の方が約1,200円程度安い結果となった。
燃料費調整費が大差付いているため電力使用量が多くないと新電力は管内電力会社に負ける。また燃料費調整費の行方いかんでは新電力から離脱する検討も必要だ。
野田元総理による安倍元総理への国会での追悼演説。
『本院議員、安倍晋三 元内閣総理大臣は、去る七月八日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。
享年六十七歳。あまりにも突然の悲劇でした。
政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずであった穏やかな日々。
すべては、一瞬にして奪われました。
政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。
我が国の憲政史には、百一代 六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。
そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
安倍晋三さん。あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。三十八歳の青年政治家の誕生であります。
私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。
その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。
内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢五十二、最年少でした。
大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。
しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。
かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。
五年の雌伏を経て平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時 内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。
私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。
安倍さん。あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした。
攻守を代えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。
少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。
安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。
同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。
「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。
安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。
「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」
私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。
私からバトンを引き継いだあなたは、七年八ヶ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。
あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。
首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。
安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。
私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。
以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。
憲政の神様、尾崎萼堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」
安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。
耐え難き寂莫の念だけが胸を締め付けます。
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。
その上で、申し上げたい。
長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。
安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。
そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。
国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。
問い続けなければならないのです。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。
最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。
こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。
この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
安倍さん、どうか安らかにお眠りください。』
iPhone機種変更時の作業チェックメモ。
規約があるアプリはIDとパスワードが引き継がれないアプリが多く、IDとパスワードをキーチェーンに覚えさせていないものもあるから、旧iPhoneは移行してもすぐに消さず新iPhoneで全て稼働確認してからが絶対。
■旧iPhone消去前に作業必須
■新iPhoneでログインして稼働するか確かめておくアプリ
■Useful Links
結構、時間かかるよね。
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