PCを新調 (ドスパラ Prime Magnate TF)

年末にPCを新調した。今回はドスパラの Prime Magnate TF をベースに後付け。

メール等のデータ保全対策は大変重要で、HDDクラッシュに備え RAID 1(Mirror) 化はかかせない。今回は、FastTrak TX2650 を使って実現している。

GeForce 7150 と FaskTrak TX2650 の相性がネットでも情報がなく、とても気になっていたが、24H耐久稼働テスト含め、現在は順調に稼働中。

構成は以下の通り。

品名 Remarks
CPU Intel Core 2 Duo E6750 (2.66GHz) 標準
M.B. NVIDIA GeForce7150 microATX (Biostar TF7150U-M7) 標準
MEMORY DDR2 1GB (PC2-6400 Samsung) x 2 標準
HDD SATA2 250GB 8MB (Hitachi HDP725025GLA380) x 2 1つ後付け
RAID Promise FastTrak TX2650 (PCI Express x 1) 後付け
FDD MITSUMI D353 BTO変更
POWERSUPPLY SilentKing4 400W 黒PCケースにBTO変更

今までのPCでは Promise FastTrak TX2000 (IDE) を使っていたが、巷で言われる文字化けもなく安定して稼働していた。

FastTrak TX2650 は起動時 TX2000 同様な立ち上がりの表示で、WindowsXP のインストール時に FDD を使ってドライバをあらかじめ読み込ませないといけないところまで同じだと妙な安心感を覚えてしまう。

あと、サイコム、Faith、今回ドスパラとショップブランドのPCを使っているが、比較メモ。

  • ケース:デザイン、高級感はドスパラが一番良かった
  • キーボード:Faithで標準についてくるキーボードは全く使えない。深く押さないといけないし、ちゃちすぎる

今回、Faith とドスパラでさんざん悩んだが、ドスパラで正解だったみたい。

西川史子の『年収4000万にこだわる理由』

最近、本屋さんで西川史子の『年収4000万にこだわる理由』という書籍を少し立ち読み。

文中で西川先生の祖父は言う。
「知恵と能力があれば他人より稼げるはずの資本主義社会で稼げないと言うことは、すなわち無能である証拠だ」

PC-Transer 翻訳スタジオ2008 評価

PC-Transer 翻訳スタジオ2008をアップグレードで使用し始めた。

しかし、以下のようなエラー表示が環境の問題なのか不具合なのか今のところ不明であるが使っていると頻発する。

・引数が一致しませんでした
・ユーザ辞書を使用するときに異常がありました

再インストールしてみたが、 ユーザ辞書を登録したりするとダメ。同じ現象が発生し始める。

翻訳メモリは同じような文章ばかり載っていているので、結局自分で登録していくしか無いが上記の問題があって、登録できない状態。

結構、不便。前のバージョンに戻そうかなと。。

2002/10/05

午後から日本IBMの日本GUIDE/SHARE委員会(JGS)の発表用プレゼンのまとめ。優秀論文となってしまったばかりに公式の場に3回ほど出なければならなくなり、 そのうち2回ほど論文発表でプレゼンすることなった。そこでこれらの発表のために、9/12成果発表会用のPPTを増補する必要があった。発表はいろいろあったが関東チームにお任せし、関西チームは資料作成担当となった。
HTさん、UTさんと休みだけどうちの会社に来てもらって打ち合わせすることになった。論文以外にもいろいろと話をした。関西チームは結構いい奴ばかりで一緒にいておもしろくずっと親交を続けていたいと思う。
えっ、成果は?って。 帰りがけに、じゃあまた明日ですかって言うしかなかった。

2002/09/29

久々の半額キャンペーンで借りた大量のCDを返却しにTSUTATAへ行く。今日が最終日と言うことでまたまた借りてしまう。

よっしーから「結婚するで」というタイトルでDocomoメールが来た。
「過ごしやすくなって旦那げっとに向けてやっと燃えだしたわたし えびすさんは一生独身でいるつもりみたいやね はつじいも結婚考えてはるようやのに 今活動中(o^o^o)」
幸せっていいかもね。

2002/01/07

会社は今日が初日。
合コン3件決まった連絡を受ける。どんな正月を過ごしたんだろう。

2002/01/05

実家に戻り、有馬に行く。

2002/01/04

スキーに行く。

2002/01/01

SunとPHPの設定に明け暮れる

2001/12/09

5日21時前、母方の祖父が逝去した。

ことの始まりはこうだ。3日14時前に母親から祖父が足を折ったので田舎の方に帰るというメールをもらった。初めはもう年だし、どこかにつまずいたのかと思った。ところがその日か次の日ぐらいに親から電話をもらって脳幹から出血して自発呼吸ができず人工呼吸器の世話になっている状態で脳死だという。何がなんだかさっぱりわからなかった。

聞いて率直に思いついたそうなった理由は、娘3人によるものか、ちょうど亡くなって約1年たった祖母が祖父を引き取りにきたのどちらかだと思った。

前者の理由は、祖父の頑固な性格で娘3人は以前から親子対立状態にあり、それを祖母がつないでいた。祖母が亡くなった時から娘たちは祖母の代わりに2週間交代で祖父の面倒を見ていたのだが、あいもかわらず、考え方の違いでずっともめていたのを誰もが知っていた。また祖母の逝去自体も未だ理由がはっきりしない。祖母が亡くなったのは昨年の11月末、交通事故にあったという知らせを聞いてすぐに田舎に戻った。国道を自転車でわたっていてダンプに轢かれたとのことだった。即死状態だったらしい。身の回りの整理をしていたときに遺書めいたものがでてきたらしく、それによると、祖父の頑固な性格についていけなくなったとあったらしい。娘たち、つまり親、叔母たちは祖母の亡くなる原因が多分に祖父にあると考えいっそう対立を深くしていた。しかしながら、孫レベルでは、なぜ?という疑問は未だはっきりしない。真相が藪の中である。そこで今回である。祖父が亡くなるまで子供の娘たちは付きっきりだったこともあって、通夜は孫だけで残り、その際に孫同士の話で誰もがこの2つの見方を持っていた。

後者は、約1年たち祖母が手のかかる祖父を迎えに来たのだと。個人的には今はこの見解を支持している。

祖父、祖母とも亡くなり今残されている課題は家を誰が継ぐか、遺産の分配方法だ。もともと祖父には長男がいたのだが、結婚してすぐ亡くなり、長男の嫁は相続で子供を取られるのを防ぐために旧姓に戻し、一歩離れた立場にある。祖父、祖母の希望として家を継ぐものが遺産も引き継ぐとしているらしいが、遺書も封印されているようで故人の遺志はいかされることはない。3人の子供がそれぞれの立場で家と遺産でもめている。祖父が亡くなって本当に悲しかったのだろうか?家は継がないが遺産は要求するという人もいるらしい。まだまだもめそうだ。このもめ事はそれぞれ親からも当然聞いているので孫同士のつながりにも影を落としてきている。祖父の怒りを買わなければ良いが。。。

最後に、今となって真相はわからないが知っている中での経緯は次の通り。
12/5に担当だった三女の叔母が用事があり、叔父(叔母の旦那)と交代するために2時間ほど家を空けたらしい。弟から聞いたところでは、買い物のために家を閉めきって祖父が出れないようにして3~4時間家を空けることはよくあったことらしい。祖父は惚けも入って一度家を出ていって泥だらけになって帰ってきたこともあるのでそうしているようだった。叔母が叔父と家に帰ってきた際に、祖父が玄関を入ってすぐの応接室に座っていたが、土間に落ちて骨折してらしいのがわかりすぐ近所の方の応援も借り救急車で病院に運んだとのこと。(ここらへんははっきりしない。)祖父は大腿骨骨折だったらしいが全然痛がらないことに看護婦さんが不思議がり祖父を見たところすでに息がなかったらしい。急遽人工呼吸処置を行い、レントゲン結果は脳幹から出血していて脳死状態。徐々に心臓も弱まっていき、亡くなったらしい。
祖父の逝去は、12/7の県内の新聞では老衰による死去と掲載されていた。

小さい頃母親が病気だったり、仕事をしていたせいもあり、ずっと祖父の家に預けられていた。長女の長男という孫だったことで、祖父祖母にはとってもかわいがってもらっていた。高校ぐらいまでは毎年休みの度に帰っていたと思う。でももう10年以上会っていなかった。
直近に会ったのは2,3年前。母親が祖父と喧嘩していたこと、自分自身でも自発的に帰ろうと思うこともなかったので期間が空いた。
その時、すでに祖父の記憶から僕は消えていた。誰?と言われ、ほんと、そのときはとてもショックで悲しかった。そして再び今回会ったときは、祖父はもう何もしゃべってくれない人になっていた。

たくさんの本に囲まれた祖父の部屋、小さい頃は遊び場だった広い屋敷、上の方から明かりがすっと入ってくる怖い倉、ほめられた機械修理、昭和初期の78回転レコードをかけられるようにしたステレオセットから流れる音楽、中庭にある池の飛び石わたり、やりすぎて怒られる鯉のえさやり、一日じゅう戻らない虫取り、竿もお手製の吉野川での釣り、祖父母と3人での栗林公園への小旅行、自転車での田舎探検・・・自然と涙が出る、すべて懐かしい想い出。