会社人生で思うこと2025

またもや構造改革の声、諸行無常の響きあり。はぁ、、何度目なんだろうか。

会社人生80%までは思うなりの仕事ができて良い感じだったのに周囲がどんどん変わっていく。

部下75%を他社に託してから約10年たつ。そこからは自分の会社人生はなんか惰性的だ。

しかしそれはそれまでの会社一辺倒だった自分を見直す良い機会でもあったように思う。

前回の内部倒産の一部始終を下部の組織で企画職マネージャーとして見てきた自分としては、危機的状況においてトップが積極的に自ら優先順序を決め采配をしない結果、どういう状況になっていくか、組織が崩壊していく様を無力感を持って見ていた。トップは人員を切れば済むと考えていたが、その代償スキームに仕組まれていた危うい考え方について何の危機感もなかったようだ。結局、そのスキームでさらなる赤字を引き起こし自滅した。

その意味では倒産は必然的なことだった。経営に関して無能でただ弁論爽やかだけだった大将に仕えるということがどのような悲惨さを導くか、人材は適材適所だということを十二分に体感した悲しい出来事だった。と同時にサラリーマン社長に使えるマネージャー職っていうのは、社長を含めてしょせん掃除当番などただの当番にすぎないという悟りも得た。

脳内がしびれるほどの喜怒哀楽感をもって「魚鱗の陣」「鶴翼の陣」などと形を変え成長に突き進むオーナー企業の創業者以外は勝たん。そして、そのお眼鏡にかなう人材しかマネージャーと名乗るべきではないとさえ思う。

視座の高さ、責任感、誠実さは当番では得られない、それはもって生まれてきた気質に寄るものだと。そんなの戦国武将の読み物やキングダムで十分わかってることやんって今更ながらも思ってる。

そこからは、やはりまずは手に職(技術)、実用的な趣味の拡大と考えてそちらに大きく舵を向けた。そちらはまだまだ修行中ではあるが着実に自分なりの納得感をもって進めていけている。

今度の構造改革は市場の変化への対応遅れ、人件費の急増が原因。でもそれって20年前にも同じことがあった。そう10年ごとに会社が危機に陥ってる。後者の人件費については思うところがある。

コスト削減、特に経費削減というキーワードをグループ内、社内で聞かなくなった。またハラスメント対策、DEI対応、残業時間規制の結果、ハラスメントを恐れることで依頼する側が遠慮し受け側の個人の気分が優先され業務と強引に結びつけてくる研修とか他部署との交流とか自分磨きが優先され「業務としての1人月」の定義や中身がよくわからないことになってきたり、外部人材の登用やリファラル採用で投下コストに対する成果が不自然となり、労働時間の関係で請負で業務を受けてくれる会社が無くなり納期コントロールができなくなってきた。結果、QCDともボロボロ。

あと思うことは社内SNSも酷い。MS365のIDが約15万の企業グループ社内SNSは名前は特定できるもののTwitter(X)とそう変わらない。タイムラインを見ると。。。まぁ、そういう結末になるわなと昭和生まれは感じる。

前回の構造改革の時と同じく お気に入りの midiを聞いて愚痴を記した。

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